命を頂いている感覚が鋭くなるにつれて、生の実感が増していく

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宮崎に移住して、”いただきます”の持つ言葉の重みを実感する機会が増えています。

今日そばを食べているときに、ふと上のようなことを感じたのだが、俺はこっちに来るまでそばの花がどんなものか全く知らなかった。そばが大地から芽を出し、花を咲かせるという当たり前の事実を感じることができていなかった。まぁ、農家でない限りこうしたことを日ごろから実感することは難しいと思うのだが。

 

こうしたことを見知っていれば、食事が単なるタスクではなく生きることに直結しているのだと感じられるのだと思う。(学生時代から東京のサラリーマン時代は完全に食事をタスクと捉えていたからなぁ…)

 

合鴨をさばいた時にも同様のことを感じ。  

@shintahosokawaが投稿した写真

【食べるとは生きること〜移住メモ10/5】
今日は北きりしま田舎物語のサポートでした。

地元の中学生の食育の一環で、合鴨(合鴨農法のお役目を果たした合鴨たち)をさばく瞬間に立ち会い、毛を剥ぎ、炙って産毛を綺麗にとばし、肢体を解体するところまで、僕自身も中学生に混じりながら体験させて頂きました。

はじめはかわいそうに思って、目も向けられなかった子どもたちが、毛を剥いでいく過程、食肉に加工されていく過程を一つずつ目の前にしていく中で、食べるということの本質を受け入れていく姿が印象的でした。 …なんて偉そうなことを書いてはみたものの、俺自身初めての経験!どーなることかと思いましたが、意外とすんなりと受け入れらたのは自分としても驚きでした。俺こーいうの大丈夫だったんだ…

食べることは生きること。

よく言われますが、今日ほどその言葉を実感を持って感じられた日はありません。いただきますの言葉の持つ意味が質量を持って感じられた1日でした。

ホントにこうした体験を多感な時期に体験できるというのは素晴らしいことだと思います。また、そうした機会を提供している農家さんたちには畏敬の念しかわきません。

食べるたびに生き方を問われる。なぜ生きるのか?動物や植物の命をいただきながら、俺ら人間はどうその命を遣っていくのか。

食べることの本質は生き方を問う瞬間にあるのだと感じました。

日ごろ食卓で並ぶ料理やスーパーで並ぶ食材だけを見ているだけでは、命を頂くという実感は得られない。

これって即ち生きている実感を得られないっていうことと同義だと俺は感じていて、命を頂いて、命を食って、俺らは生きているという感覚が、生の実感を鋭くしていくし、より生命力を持った人間の活動ができていくんじゃないかと思う。

だから、よりイキイキと躍動感を持って自分のポテンシャルを高めて発揮していきたいという欲求の強い人には、農業や畜産の現場を見て体験することを勧めたいし、俺もそうした中で今後も生命力を高めていきたい。今後は生命力を高めるという切り口から、食材や活動を首都圏向けに出していこうかね。

Shinta Hosokawa
岩手県出身の86世代。2015年10月、東京から小林市へ地域おこし協力隊として移住。情報発信からの現地滞在、新たな人の流れを作るべく。メディアを育てつつ、ブックカフェ兼ゲストハウスというリアルな箱を準備中。
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