古今東西のナリワイを紹介していくシリーズ、第3弾!
第1弾はこちら→【牛削蹄師という仕事】命を支える現場で働く誇り~古今東西ナリワイ紹介~
第2弾はこちら→【家守という仕事】江戸時代の発想をリノベーション~古今東西ナリワイ紹介~
今回は、”家畜商”という仕事を紹介します。
先日、家の近所のウエノさん宅におじゃました際に聞いた、家畜商というナリワイ。
【参考】野尻町、日本ミツバチブームの火付け役【今週の田舎人】
元町議会議員さんであり、引退後は日本ミツバチの養蜂を趣味でされています。
元々は、農家さんであり家畜商をされていたとのこと。
”サツマイモ作り名人”と言われたり、いたるところでお名前を聞く、とても多彩な方なのです。
家畜商とは?
家畜商とは、家畜(牛、馬、豚、めん羊、山羊)の取引を農家さんの間に入って仲介を行う仕事です。
長年の経験で牛馬の鑑識眼を持っていて、同業者との連携も緊密だったので、なくてはならない存在だったようです。
昭和24年に家畜商法を公布され、免許取得が義務付けられました。
売りたい・買いたいの仲介人として農家さんのニーズに応える
ウエノさんが家畜商をしていたのは昭和30年から20年間。
お父さんの代から引き継ぎ、2代目として活躍されました。
当時は牛を積む車などもなかったので、今のように大きなセリ市もなく、ほとんどの取引きが農家さんの庭先で、売買や交換が行われていたそうです。
「育成が盛んな地域では、妊娠牛を求めているから、妊娠牛を求めて宮崎方面によく走ったよ。
目的地に着くと、その土地の馬喰が集まり、仲介に走り回わってくれて、目当ての小屋に行って気に入ると仲介人が売り手、買い手の値聞きをして、双方納得する値段になるよう調整していく。
売り手と買い手の納得する値段になったら、交渉成立!売り手と買い手の2人で3%を出し合い、仲介人のみんなで分け合ってもらう。
売買が終わると、鶏をつぶして焼酎でのんかた(飲み会)だったね。
情報網をもって、良い牛がいると聞くとすぐに飛んで行って、いい塩梅で売買できるよう交渉したり、面白い仕事だったなぁと、今もあのときのことを昨日のことのように思い出すよ」
値聞きの様子は、フグの袋競りにそっくりだったそうです。イメージは↑こんな感じかな。
肥育農家さん(子牛を大きく育てて肉用に出荷する)と、繁殖農家さん、それぞれのニーズを拾い、売りたい買いたいを調整し仲介するお仕事なのですね。
また、買った牛は、今のように車はないので、引いて歩いて帰らなければならなかったのです!
宮崎から野尻まで、30キロ以上あります。
しかも牛さんと一緒…
牛を引いて帰ると片道14,5時間くらいかかったそうです。
人間以上に牛にとってこれだけ長い距離を歩くことは、とても大変で、爪がはがれて動けなくなって、元気になるまで養生しながら帰ったそうです。
現在は牛が移動できる車もあり、大きなセリ市で売買されることも増えましたが、今でも家畜商の方がは全国で活躍されています。
世の中にはまだまだ知らないナリワイがあるなー!と、今回も一つ学びました!
<家畜商になるには?など詳しくは「一般社団法人 日本家畜商協会」のページをご覧ください>
【古今東西ナリワイを知る】シリーズ化していきます
繋ぎ屋ではおなじみ、『ナリワイをつくる』にも書いてあるように、戦前は日本には約35000種の仕事があったそうです。
それが現在は2167種類。
【古くて新しい働き方ナリワイ】日本には戦前3万以上の仕事があった
効率化やインターネットなどの普及で必要なくなった仕事も多々あると思いますが、今の時代でも少し目先を変えたり、組み合わせて掛け算することで、蘇るナリワイがあるのではないかな?と思っています。
特に、田舎は都会と比べて一人の人が様々なナリワイをもっているし、必要とされるナリワイは都会よりも多いのではないかな?昔あったナリワイをリメイクしたり蘇らせたりしたら、新たなナリワイが生まれるかもしれない。
そんなことから、移住して出会った様々なナリワイを、現在もやっているやっていない関係なく、紹介していきたいと思います!
第4弾もお楽しみに!!
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Tsunagiya Library
北海道函館出身の86世代。自然の中で食・住・ナリワイを創る暮らし目指して、2015年9月26日から夫婦で東京から宮崎県小林市野尻町へ移住。広告営業、地域情報誌の記者編集、広報などを経て、現在は地域おこし協力隊&聞き書きライターとして活動中。
広報PRの仕事や聞き書き本の制作・ハーブを中心とした畑づくりをしながら、移動式古書カフェ・ゲストハウスオープンへ向けて準備中です。