中島芭旺君の本を読んで、これから訪れる個の時代の教育について考えた。

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先日、中島芭旺君の「見てる、知ってる、考えてる」を読む中で、これからの教育の形、特に義務教育ついて思うことが出たのでまとめてみます。

中島芭旺君って誰?っていう方は、下記記事も参考に。

天才少年芭旺君が臨む、遊びと仕事、子どもと大人の垣根を超えた世界

既存の義務教育の価値は低下する

小学校に通わず、自宅学習という方法で学ぶ芭旺君。賛否両論出ていますが、個人的に僕が仮に今小学生で、客観的に今の社会を知ったうえで選べるのであれば、小学校には通わないだろうなということ。

この辺は堀江さんに賛成ですね。

なんでかといえば。それは既存の学校教育が、時代の流れに全然追いつけてないと思うからです。

これだけコンピュータが発達してAI技術も進化している中で、暗記自体の価値は下がっている。知識はいつでも引き出すことができる時代に、今の小学校で先生は何を教えてくれるのか。

よっぽどグーグル先生に聞いた方が知識は得られるならば、自分の興味ある情報をいかに引き出すか、その検索の仕方を教えるとか、その情報はどういった意図で誰が発信しているのかを見極める方法を教えるとか、ある情報を踏まえた上で議論をする時間を持つとか、そういったことを学校が担っていかないと。

既存の義務教育の形のままでは、これまでの時代における義務教育の重要性と比較して圧倒的に価値が下がっていくと思うんですね。

違いが価値を持つ個の時代

それに、これだけ多様性が増す社会において、従来のように3,40人が全く同じ授業を受けるというのも時代遅れでしょう。

多様性が増すということは、違いが価値を持つということですから、周りと同じインプットを繰り返していては違いが育たないわけで。

いかに周りと違う教育を受けるか、もしくは違いという才能を育てられる教育が受けられる環境をいかに用意できるか。

という点が、違いが価値を持つ時代において必要な教育視点かと個人的に思います。

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みんな子どもをなめすぎじゃない?

芭旺君の本を読んで改めて気付いたのが、小さい子どもでも自分の意見や考えを持っているということ。

なんだろ、小さい頃って「まだ子どもだから。」とか言われるじゃないですか。僕、子どもの時それに対して反抗してたように思うんですよ。

子どもだからってなめんなよ!いやいや、子どもだって意見もってますから、考え持ってますから。みたいなね。

もちろん肉体的には弱いので、ある程度子どもを守るという視点は必要だと思いますが、精神的には早い段階で一人の個人として尊重すべきだと個人的には思いますね。

子どもから個性を伸ばす私塾構想

というわけで、僕みたいに考える親は義務教育以外の教育の受け皿というのを探し始めると思うんです。僕は自宅教育でいいじゃないかと思うんですが、同じような価値観を持った塾、先生がいるのであれば、そこで学びたいという人も一定数いるんじゃないかと。

だからね、子ども教育の分野はやっていこうと思ってるんです。もちろん、僕みたいに変な大人になってもいいという人前提ですが。(変というのは個の時代においてはいいことです)

ひたすら自分の好きな事、得意な事、興味を伸ばす為のオンライン子ども塾とかね。

今後リリースした際は繋ぎ屋トップページにバナーを載せますし、それまでにもマンツーでもやりたいという需要があれば、対応しますから、そんな方はどうぞお気軽にご連絡ください。

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ABOUTこの記事をかいた人

Shinta Hosokawa

岩手県出身の86世代。2015年10月、東京から小林市へ地域おこし協力隊として移住。情報発信からの現地滞在、新たな人の流れを作るべく。メディアを育てつつ、ブックカフェ兼ゲストハウスというリアルな箱を準備中。