50年前はフリーランスが当たり前だった?!:「ナリワイをつくる」に学ぶ②

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自分で仕事を創る生き方がしたいー

そう思いながらも、独立起業すること、フリーランスという働き方をすることは特別な才能のある人にしかできないハードルの高いものだ…どこかにそんな恐れがありました。

『ナリワイをつくるー人生を盗まれない働き方』

この本に出会い「ナリワイ(生業)」を創って生きることは、恐ることではない!誰でもできるし楽しいものだ!と2014年、私の固定概念をガラッと変えてくれました。

著者の伊藤洋志さんは1979年生まれの35歳。京都大学大学院時代にナリワイの研究をし、卒業後は研究してきたナリワイについて自ら実践する「ナリワイ実践家」として生計をたて活躍している方です。

大学卒業後、一度ベンチャー企業に就職しハードワークをされていました。

深夜まで仕事をしてクタクタになって家に帰り、ハーゲンダッツを食べるのが楽しみな生活…お金を稼いぐために疲弊して、癒すためにお金を使う、お金がいるからもっと稼がないと…というなんのために働いているのか?なんのために生きているのか?分からないような生活をしていた時期もあったそうです。

この感覚、激しく共感しました。私も広告会社の営業時代、毎日の深夜残業、ノルマに追われたり、心も体も疲弊しながらもそれを癒すために無駄にお金を使ってお菓子を買ったりリラクゼーションに通ったり。だからお金がないと困るからもっともっと働かないといけない、深夜残業も休日出勤も仕方ないんだーそう思いながら負の無限ループに入っていました。

そんな日々を変えるために働き方を変え始めた私にとって、伊藤さんのナリワイ的な考え方はたくさんの希望を感じさせてくれました。

今回は「ナリワイとはなにか」を働き方の背景も含めて紹介します。

ナリワイとはなにか:日本の働き方・暮らし方

日本の働き方・暮らし方は、そもそもこんなかんじで、複数の仕事を組み合わせて営まれていたものだった。ところが、わずか50年ちょっと前の1954年にはじまった高度経済成長期でふっとんだ。小さい生業をやるより、皆で大きいビジネスをしようということで、日本人総出で絞り込んだ業種、自動車、電機などの製造業で勝負する「株式会社日本」が設立された。私が生まれた頃にはだいたいの人が会社員になっていたので、わずか30年ぐらいでそれまでのやり方を一気に変えてしまったわけだ。

例えば「日の丸半導体」ってすごい言葉だが、これも絞り込んだ業種の一つだ。その半導体メーカーが経営破たんする事態もちらほら起きている。多種多様な小さな生業を捨てて、絞りこんで大きくした業種が時代の変化で不調になってきているわけだが、絞り込んだ業種にたくさんの人が関わってしまっているから変化に弱い。

「はじめに」にも書いたが、大正時代の調査によれば当時の職業が約3万5000種類もあったにのに、現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば、いまや2167職種だけというから、いかに多様な種類の職業があったのを減らして絞りこんだかが分かる。成功した部分も多いが、いきなり多様性を激滅させれば、矛盾も大きくなる。

 

大正時代は3万5000種類の職業があった…!ほとんどの人が自分の生業をもつ今でいう個人事業主、フリーランスだったのか!!

具体的に数字で根拠を示してくれているので、いかに働き方がここ数十年で激変したのかがわかりやすく伝わりました。

ちょっと前は、会社員はいなかったのか…個人事業主が当たり前だった、その事実を初めて知りナリワイを創ることは特別なことではないと思え希望が湧きました。

過労死、派遣切り、ニート問題、と現代日本の働くこと・暮らすことについての矛盾は顕在化してきている。「働き方」の本が次々出たり、憧れの仕事人番組が人気だが、裏を返すと、働きか方や暮らし方について行き詰まっていることの表れでもある。私は、この行き詰まりの大きな要因の一つは、仕事の多様性の低下であると考えている。

(中略)

ただ、異常な景気アッパー時期には、そんな矛盾も覆い隠せるほど皆が儲かって豊かだったのでよかったのだか、現代のような平常時に戻ると、さすがに無理が表面化してきたということだろう。長い歴史の中では、大部分の人が組織に所属して単一の仕事をやるという生活様式こそが、むしろ特殊である。専業主婦も「株式会社日本」ができた高度経済成長期にたまたま出現できた身分であって、誰もが家事もするし生産活動にも参加していた歴史の方が遥かに長い。ニートだフリーターだと問題視されているが、これは今の若者がだらしない、というのは不正解で、むしろ現代の生活に適応できる人は運が良かったという評価が適当だと思う。

「ナリワイをつくる」ということは、この歴史を踏まえて、人類の性質に合った健康的な仕事を再構築しようという試みである。

一人一人が生業をもっていることー自分は何で社会に貢献できるのか?その価値を仕事から実感しながら生きられた時代があったのだなと感じました。

「株式会社日本」で高度成長期を支え、もちろんそのおかげで今の時代があるのも間違いないと思います。大企業にしかできない仕事…新幹線を作ったり?なども今でも必要な部分もあるとは思います。

物が溢れて物が売れない、景気が悪くて就職できない、という現状がある反面、まだまだ困っていること、必要なサービスはたくさんある。だけど、それを企業でやると儲からないし赤字になるからそんな小さなことはできない、だからやらないということがたくさん眠っているのでは?

実際私も会社に勤めていた際に「こんな仕事を創りたい」と社長に話したときに「それじゃ儲からないし、社員全員を養えなく赤字だ。そんなことは無理だ」と言われたことがあります。確かに会社組織でやるにはそこまで儲かることではありませんでした。でも、個人の仕事としてやると十分成り立つし、適正な価格でお役にたつことができる。そういうものなのかと「ナリワイをつくる」を読んで納得しました。

 

本来仕事とは自分が必要としていて誰かも必要としていることを、まずは自分で生み出せるようになり、それを磨いていって必要としている誰かのお役にたてるようになって「生業」になるー誰かが作った仕事ではなくて、自分で自然と生活の中で創っていくものだったのかなと思いました。

「自分は何のために生まれてきたのだろう?」「自分には価値がないのではないか?」

自分で生活の中からナリワイを創り、自分のナリワイで誰かのお役にたって生きていけたら、この問いへの答えが見えるのではないかなと思っています。

 

 

 

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