それでも俺らは肉を食う?畜産で生きるジレンマに触れて感じたあれこれ

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今日は北きり会員、農家の宿くららさん宅にて畜産農家のお仕事を見学させて頂きました。

くららさんのところは肉牛を300頭以上飼育されており、あちこちでモーモーとキュートで賑やかな鳴き声が聞こえてくる環境。牛の現場にこれほど近づいたのは、幼稚園の頃以来でしょうか(岩手県葛巻町に住んでいたときも、近くに牛がたくさんいた)。

というわけで、今日は宮崎牛が誕生する現場と、そこで感じたあれこれを写真と共に振り返り。印象的だったのは牛を育てながら、牛を育てるための膨大な穀物量と、それを殆ど輸入に頼っているという現状にときどき疑問を持つというくららさんのお話です。順番にいきます。

FullSizeRender (24)まず、どこの畜産農家のところにも今はこうした立て看板が置いてあります。基本的に畜産農家の入り口は関係者以外入れないようになっていて、口蹄疫以降、徹底しているもよう。入るときには消毒をしてから入っていきます。

FullSizeRender (25)中に入ると早速牛がお出迎え。こちらは26か月の”あげは”ちゃん(君?)大体28か月を目安に出荷しているらしい。名前なんて付けちゃうと食べるのがかわいそうになってくるんじゃないだろうか..俺は耐えられないかもしれない…

 

 

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興奮気味のあげは。知らない人が来てちょっと緊張気味。顔を思いっきり突っ込んでくる。結構激しめな動き

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全体的にはこんな感じのイメージ

生後10か月から28か月までをこちらで肥育して400~450kgまで育てる。その後は肉質によって等級分けされ、1~6は宮崎和牛、7~12は宮崎牛として販売されるとのこと。

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あげはちゃんは落ち着きがないので、等級低いかもと冗談半分苦笑いの倉薗さん

FullSizeRender (37)こちらには肥育する際に牛のエサになる小麦粉やらが入っている。手前のものに3トン、奥のものに5トン

なんでも18か月くらいからは1日に9kgの餌を食べるんだとか。試算によると、それで作られる肉は1kg。つまり、(人間用ではないとはいえ)大量の穀物を使って(もしかすると、それらを活かせば飢餓に苦しむ地域にとって十分な食糧になり得るだけの穀物を使って)肉を育てて、それらを食すということに疑問を感じることもあるという、倉薗さん。

もちろん肉は食べて欲しいんですけどね(私らはそれで食べてるからねと微笑みをうかべながら)と話しつつも、肉を生産し続けている中でジレンマというか矛盾と呼ぶべきか、時々感じることがあるという。

個人的にはこうした話を、牛を育てている倉薗さんが話すことにめちゃ意義があるんじゃないかと感じました。他の誰でもない、自分が牛を育てることを商いにしている中で、疑問を感じながらもそれを見ないことにするではなく、それでも牛を育てながら生きている。

こういった事実を知って、ビーガンになったりベジタリアンになったりする人もいるし、変わらない人もいる。選択は一人ひとりに委ねられているから、それでいいと思う。ただ、今日僕が倉薗さんから聞いたような話を一人ひとりが知っているというのは大きなことなんじゃないかと思う。

まずは知ること、知ったうえで何を選択するかは個人の自由意志に委ねられているし、選択肢が加わることで自らの行動がが変わることだって多分にあると思うから、今日聞いたお話は自分が食べるものを選ぶ基準に少なからず影響を与えていくのかもしれないし、何も変わらないかもしれない。少しずつ変わっていくような気もする。

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子牛たちが仲良くならんでお出迎え

ちなみに、今牛たちを肥育するために使っている飼料はほとんどが海外からの輸入。日本では賄いきれないわけで、それだけ膨大な穀物を耕土の広い大国と呼ばれる国からの輸入で賄っている。

もちろん、輸入がストップすれば肉は今以上に遠い存在になるわけだけども、もともとこうして牛肉が身近になった歴史の方が浅いんだとも思うし、そうなってもおそらくは楽しい食事を、僕ら人間は環境の変化に適応しながら謳歌していくのだと思うのだけれども、今のように安価に牛肉が食えるのはそれほど長くないかもしれない。当たり前じゃないのかもしれない、自然のメカニズムの中では不自然なことなのかもしれない、という視点は持っていてもいいのかもしれない。

だからこそ、今肉を食える瞬間は今のいろんな偶然(時代の流れや食文化の発達etc..)の産物だということを知った上で、牛肉の味を噛み締めながら食っていきたい。そんなことを感じた一日でした。

Shinta Hosokawa
岩手県出身の86世代。2015年10月、東京から小林市へ地域おこし協力隊として移住。情報発信からの現地滞在、新たな人の流れを作るべく。メディアを育てつつ、ブックカフェ兼ゲストハウスというリアルな箱を準備中。
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岩手県出身の86世代。2015年10月、東京から小林市へ地域おこし協力隊として移住。情報発信からの現地滞在、新たな人の流れを作るべく。メディアを育てつつ、ブックカフェ兼ゲストハウスというリアルな箱を準備中。